おはようございます。
猛暑が続く日本列島、博多も例外ではありません。
9時少し過ぎですがすでに30度を超えています。
皆さんも熱中症に気を付けてお過ごしください。
こうしてブログの下書きを書くときに日付を書くのですが、今日はもう7/31です。
7月が終わります(当たりまえですけど)。
今しばらくこの暑さは続くと思いますので、お互い気を付けて生活しましょう。
今日のテーマの作家と脚本家のお話。
全然違う方たちということを改めで感じさせられました。
このブログでも折に触れて書いている通り、私はテレビのサスペンスものが大好きです。
BSでちょっと以前のサスペンスの再放送があるので録画をしてよく見ています。
先日私が大好きな夏樹静子さんのドラマがありましたので、楽しく拝聴しました。
ドラマの最後に原作名が出ましたので、蔵書から引っ張り出して読んでみたのです。
驚くほど原作と違う内容でした。
原作と引用するのが理解できないほど脚本化されていました。
以前夏樹さんにお会いした時にご本人が話されていました。
ご自身では自分の作品のドラマや映画はご覧にならないとのことでしたね。
そのお気持ちが分かった気がしましたねー。
松本清張さんの作品も、同じタイトルですが、脚本家、監督、役者さんも変えて放送されることがあります。
その時も同じような事象が発生しますね。
時代設定が変わるのは当たり前、主役や犯人の性別が変わる。
あまりにも変わると原作の意味って何なのだろうと思ってしまいます。
原作には原作の良さがあり、作家の方の思いがこもっていると思うのですが、
皆さんはどのようにお感じになりますでしょうか?
生成AIが進歩したらどうなるのでしょうか?
小説や論文も書けるようになると言われていますが、脚本はできないのでしょうかね?
脚本は通常は文書化されていないと思いますが、技術が進んで脚本化された作品も情報蓄積され、
原作と脚本による作品の比較ができるようになると脚本までAIが書ける時代が来るのかもしれません。
それが楽しい作品になるのかどうか今の時点では判断がつきませんね。
生成AIの基本スキルは近似する情報を集めることと言われていますが、
人間の仮説力は離れた情報も合わせることができるそうですので、
作品の面白さはそこからくるような気がします。
といっても生成AIの進化は見逃せないIT動向であるのは事実です。
テレビドラマや映画はエンタメと割り切って楽しむことが肝要なのだと思うことにします