こんにちは。
昨日久しぶりに国内線ですが飛行機にのりました。
2月にベトナムから帰国して以来ですのでおおよそ8か月振りのFlightになります。。
乗客率は1/4から1/5くらいのイメージでしたね。
機内での飲み物サービスはいつも通りでしたが、毛布や枕のサービスはなしだそうです(ファーストクラスはOK)。
機内誌等も自粛かと思ったらそちらはちゃんと準備されてました。
先週書いた新幹線座席とは異なり、ちゃんと隣の席は空いてました。
お客様の数が少ないし、もともと座席指定のサービスがありましたから管理はしやすいのかもしれませんね。
いろいろな手続きが人手を介さないように自動化が進んでいて戸惑いました。
今日の羽田では手荷物の預けは自分で手荷物タグを発行して自分で装着。
そしてそれを自動読み込みするようになっていました。
年配の方は手荷物の預け方にも戸惑うかもしれません。
さて話はがらりと変わりますが、今日は私の昔話を一つしてみたいと思います。
私が外資系のコンピュータ会社に入社したのは1976年です。
最初に配属されたのはSEの技術支援の本社部門でした。
いろいろな領域がある中で特定のハードやソフトを専門的に担当し、営業所のSEさんやお客様のサポートをするという部門。
コンピテンシーセンターという位置づけでした。
そこで約10年間勤務し、福岡の営業所に異動しSEやSE管理職としてしてお客様を担当しました。
入社しての前半はとにかくスキルの醸成が精いっぱいで無我夢中で仕事をしていたのですが、
後半になると営業所に出て直接お客様をご支援するようになりたいと思うようになりました。
福岡への異動はその希望がかなったことになります。
そして福岡でお客様を直接サポートするようになってまた違う思いが出てきました。
それが今日のテーマの「お客様のシステム部長」になってメーカーのSEさんと接したい(指導・メンターをしてみたい)という夢を持つようになったのです。
今でいえばユーザー企業のCIOとでもいえる立場を夢見たことになりますね。
なぜそのような思いを持ったのかは定かに記憶していないのですが、
お客様からなにか厳しい指摘や指導を受けたのかもしれません。
ユーザー側であればそのようなつらい思いをしなくていいと思ったのか?
私たちの世界で「お客様に育てれられる」という言葉があります。
逆に素晴らしいお客様がおられて自分もそのような立場になりたいという思いだったのかもしれません。
お客様の立場で、厳しさとやさしさの両面をもった管理職になり、メーカーのSEさんの育成ができればと思ったのでしょう。
福岡でSEとして勤務した後、今の仕事の原点になるコンサルティング部門に異動したのが1991年です。
その後今までの約30年コンサルタントとしての仕事が続いています。
ということでユーザー企業のシステム部長(CIO)という思いはかなえられなかったのですが、
今のコンサルタントの仕事は私にとっては天職だと思っています。
支援者、あるいは伴走者としての立場ではありますが、お客様の課題の解決、企業戦略の実現をご支援する機会に恵まれています。
ITCとして福岡・九州だけでなく全国のいろいろな仲間と一緒に活動ができます。
自分自身が気づかないこと、欠けていること教えてくれる仲間がいます。
ITCとして、コンサルタントとしてまだまだ成長していきたいと考えています。皆様今後ともよろしくお願いします。