おはようございます。
朝からセミの声がいっぱいの博多です。
この喧噪も今週・来週がピークかもしれません。
今が盛りのクマゼミや、アブラゼミからヒグラシやツクツクボウシに変わっていきますので、
これほどうるさくなくなりますからね。
以前行っていたベトナムにもセミはいることはいるのですが、
日本のようにうるさいというほどではなかったように感じます。
ゴルフ場とかでは地面に落ちて死んだセミを見かけることはありましたが、
それほどうるさいとは感じませんでしたねー。
鳴き方が異なるのかもしれません。
では今日のテーマに戻ります。
皆さん最近「涙すること」ありましたか?
私は人並み以上に涙腺が弱いので涙することしょっちゅうです。
ですから映画館とかで悲しい映画や感動ものを鑑賞することが苦手です。
他の人が泣かないようなところでも泣いてしまうからです。
かなり恥ずかしいものなのですよ。
そんな私が最近大泣きしたこと。
東野圭吾さんの「希望の糸」という小説です。
前半から中盤までは泣きそうな場面はほぼなかったのですが、最終章のころでした。
親子の情の部分なのですが、イヤー久々の涙・涙でした。
メインの流れはサスペンス系なので、大半は動機探しやその隠された秘密の探索に私の注意は引きこまれていたのですが、
終わりの方はまさしく人間ドラマでした。
最近の作家のサスペンス系は東野さんに限らず、登場人物が多かったり、動機や関係性が複雑なので、
なかなか簡単に読者の予想をあてさせてくれません。
まーそこが楽しいというところもありますが。
テレビで松本清張さんのドラマを見ることも多いですが、やはり最近の小説やドラマに比べると、
それほど複雑なストーリーは出てきませんものね。
松本清張さんはサスペンスの中に、社会性・人間性を問う作品が主体なので
それほど複雑ななぞ解きを入れる必要がないのかもしれません。
と言いながら本格的ななぞ解き小説も数多く出されていますが。
私の今回の読書の感動による涙とは違いますが、カウンセリングの世界では泣くことを許容するというのも一つの療法です。
一般的に頑張りすぎるクライアントさんが多いので、泣くことを良しとしない方が多いのですね。
我慢してしまって、苦しみや悲しみを心の中にためてしまいます。
そして自分に厳しくしすぎて抜け道を見いだせなくなってしまう。
そんな方も多くなります。
そのようなときにカウンセラーがかける言葉の一つに「泣いていいんですよ」というのがあると学んだことがあります。
悲しみ・苦しみの涙と感動の涙を一緒に議論することはできませんが、
私たちももっと泣いていいのかもしれません。